![]() | ウィキペディアに掲載されたあの有名人のエピソード。*一部読みやすくする為に若干改変しています |
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白血病にかかった少年の親から野沢に向けて、「息子は『ドラゴンボール』のファンだが、医者からは余命1ヶ月と言われている。どうか息子に力を貸して欲しい」との手紙が来た。そこで野沢は共演者に呼びかけ、「次の映画を絶対見に来い」「待ってる」等キャラクターの声でメッセージテープを送った。少年は半年耐え、映画を観賞したあと死去したという。
出典野沢雅子(声優)
“笑っていいとも!”でゲストの橋田壽賀子が「トルコに行ったら江頭のせいで同じ日本人ということで被害を受けた」と話し始めたところ、江頭は橋田を口止めするかのようにキスを行い、香取慎吾と極楽とんぼに取り押さえられた。以降、江頭は『いいとも!』への出入りを禁止されてしまった。
出典江頭2:50
47歳の誕生日プレゼントとして、夫から贈られた馬に試し乗りして落馬し、肋骨3本にひびが入り、鎖骨と手を骨折した。すぐに病院に搬送されたが入院はせず、なんとその日に治療を済ませて帰宅したという。
出典マドンナ
渡辺正行が愛犬を連れてきた時、高田は突然その犬の前でパンツを脱ぎ、鼻めがけて放屁。渡辺から「犬の嗅覚は人間の百倍とも言われるんですよ!」と激怒された。それを証明するかのごとく、それまで元気だったその犬は2日後に急逝した。
出典高田純次
留学中、勤からの電話の第一声は必ず「ウンコウンコ」と連呼し、麻里も「ウンコウンコ」と応戦することが習慣だった。あるとき、同じように勤が電話をし、「ウンコウンコ」と言ったが、電話に出たのは麻里のルームメイトだった。
出典関根麻里
風俗に行く事を非常に嫌がっていた。その理由として「僕はテトロポリキョン星人だから、そんなことはしない」と発言。しかし、泣く程嫌がっていたにも拘らず「気持ち良かった」と満足そうに言った為、腹を立てた太田に「二度と風俗に行けない身体にしてやる」と下の毛を剃られてしまった。
1974年、デザイン会社に就職してチラシなどを作っていたが、結局サラリーマン生活に嫌気が差し、2年半ほどで退職した。辞めた一番の理由は、「朝早く起きるのが辛い」というものだった。
出典鳥山明
これで漫画の才能がなかったら…
後輩が忘れていった携帯のメモリー200件を2時間かけて全て歴史上の人物に変えたことがある(その後、後輩が取りに戻った)。後輩はその後、大塩平八郎から何回も電話が来たという。ちなみにどのメールが面白かったか聞くと、お茶で有名な千利休から「飲みに行こうぜ」と誘われメールがきたらしい。(ちなみに千利休は堤下敦だった)
出典大村朋宏
「俺はカナダ人やアメリカ人の方が気が合うタイプなのかもしれない!」と思い立ち、英会話を始めようとしたが、thatとthisの違いが全く分からなかったりと散々だったために挫折した。
アメマバッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判となる。裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と聞かれ「『ア~メマァ~』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と聞かれたため、再度「『ア~メマァ~』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返された。
出典間寛平
少女時代はネクラなお笑いマニアであり、一部の友達にだけ披露して笑いをとっていたが、授業中に「走れメロス」を感情を込めて朗読したことで一躍人気者となる。
出典清水ミチコ
その様子が絵に浮かぶのは俺だけではあるまい
ブロックくずしゲームの『アルカノイド』(タイトー)が大のお気に入りで、自身の別荘にアルカノイドの筐体を置いているほどである。自己記録の「およそ120万点」は、公式2位の記録に匹敵する。空港の待ち時間等で暇つぶしとして始めたのがきっかけで、それ以降ゲームセンター等を巡り回ったという。
とあるdvdでは当時世界2位のスコアを記録しているそうです。