![]() | 戦国武将・織田信長が、武田勝頼の「騎馬軍団」を破ったと言われる長篠の戦い。歴史の教科書では、信長の戦略「鉄砲の三段撃ち」が、武田騎馬兵を倒したと習ってきた。その新戦術が、ウソだったのでは?とみる説が有力に。この他、信長の定説を覆す驚きの新説が出ている。織田信長の新説から素顔を探る。 |
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戦国武将・織田信長が、武田勝頼の「騎馬軍団」を破ったと言われる長篠の戦い。長い間、鉄砲の三段撃ちが雌雄を決したとされてきたが、近年、虚構とみる説が有力になってきた。
《織田・徳川連合軍VS武田軍》
武田勝頼率いる「武田騎馬隊」を主とした武田軍と、織田信長・徳川家康連合軍の合戦のこと。
▼長篠の戦いの定説
(1)武田軍の騎馬隊を阻止するための土塁に馬防柵を立てた。
(2)鉄砲の弾込めによるロスタイムをなくす「三段撃ち戦法」。
▼長篠の戦の“三段撃ち”戦法って?
三人の射ち手が一組になり、
発射→交代→装填→発射→・・・を繰り返す。
鉄砲(火縄銃)の弱点「打つ準備に時間がかかる」ことを、3人1組になって交代に打つことで、ロス無く次々に発射できる。
信長は、長篠の戦いで、「大量の鉄砲を集中使用する戦術革命をおこした」というのが定説
出典朝日新聞
武田の騎馬隊を迎え撃つ織田・徳川方の鉄砲隊により、武田方は、総崩れとなり甲州・甲斐まで攻め入った織田・徳川軍によって武田氏は滅んだとされる。
▼この新戦術が、ウソだったのでは?とみる説が有力に
一定の間隔で撃ち続ける⇒試してみたところ現実には難しい
火縄銃では火縄が消えたり、内部にかすが残って詰まったりするということが頻繁に起きるので、一定の間隔で撃ち続けることは難しいとのこと。
鉄砲を駆使して戦う斬新なアイデア⇒信長だけではなかった
信長以前にも鉄砲を大量使用した合戦はあるし、紀州の根来(ねごろ)衆や雑賀(さいか)衆は2千丁もの鉄砲を持っていたと記録にあるそう。
▼定説を覆す新説
《長篠の戦いでの勝因》
織田・徳川側の戦闘員の数が多かったので勝った
武田軍の1万5千に対し、連合軍は3万8千と言われている。
馬防ぎの柵を2重3重につくり、そのうしろに鉄砲隊を控えさせたという、数にまさる織田側が、まず、柵で動きがとれない武田軍を弓矢や槍、鉄砲で攻撃する作戦だった。
《桶狭間の戦いでの勝因》
奇襲ではなく、大軍に向かって正面から果敢に戦った結果の勝利
信長は、田楽狭間で酒宴を催していた義元を奇襲したのではなく、今川の前衛を本陣のあった山際まで押しやったところで山から下りてきた義元を討ったというのが最新の定説という。
▼織田信長の素顔
戦国時代末期に、ヨーロッパ人宣教師が描いたという西洋画法による信長の肖像画。
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